イラストルポライター あいすまみ プロフィール

イラストルポライター あいすまみ プロフィール

イラストルポや図解を極めたいです。好奇心旺盛。思い立ったらまず行動。イラストルポライター あいす まみのプロフィールです。

目次

プロフィール

イラストルポライター あいす まみ

1973年 青森市生まれ 東京都在住

ペンネーム あいす まみ (icemammy)

アトリエIMA(アトリエ イマ)は屋号です

 

スキル

在宅ワーカー歴

16年(イラスト&デザイン)会社員をしながらの兼業時代も含む

パソコンスキル

  • Adobe Illustrator歴 22年 ★★★★☆
  • Adobe Photoshop歴 22年 ★★★★☆
  • WordPress歴 1年 ★★★☆☆ (このサイトは自作です)

その他、時代とともにすたれたスキルも多々…

ただいま勉強中・研究中

  • Webライティング
  • HTML5
  • CSS
  • JavaScript
  • WordPressカスタマイズ
  • Adobe Premiere Rush
  • Adobe Character Animator
  • インフォグラフィックス
  • iPad用のドローイングApp全般研究
  • カリグラフィー(モダン、クラシック、筆)などアナログな作業

こんなお仕事がしたいです

イラストがあることによって、物事の理解が深まったり、楽しさがアップするようなお仕事を目指しています。

  • イラストマップ
  • イラストルポ
  • インフォグラフィックス
  •  図解

こんな方とお仕事できたらうれしいです

記事作成

  • 取材に実際に行って記事を書くことをモットーにしています。
  • 独特でクセのある文章が気になる方。ご連絡ください。
  • SEOはかじった程度です。

イラスト

  • 私の絵柄を気に入って下さる方⇒はりきってお仕事します。なによりの報酬です!
  • …とは言え、テイストに多少の幅がありますので、可能な範囲でご要望に沿うように対応しております。

もうしわけございません。
劇画調、美少女アニメ調のイラストは、がんばっても描けません。

デザイン

  • 大きいデザイン事務所にお仕事を依頼するのは気が引ける方
  • 予算は、あまりないけれども、自分で作るのは難しくてお困りの方
  • 個人商店や起業したての方で、何か必要だけれども、どうしたいいのか困っている・開店準備等でお忙しい方
  • 印刷屋さんとのやりとりがわからない、または、面倒だという方

予算がないから、自分で作る派だった方も、一度ご相談ください。
ご予算に応じて作業フローからの見直しなどを行いお役に立てるようがんばります。

こんなイラストが得意です

このようなイラストを制作しています

テイスト

  • ほんわかとしたデジタルイラスト
  • カラフルで楽しい
  • 固すぎない程度にまじめ

ジャンル

  • インフォグラフィックス(ニュースなど、世の中のわかりにくいを図解したい 最優先で取組中)
  • 子ども向けイラスト(児童書 教材系 付録 文房具)
  • 女性向けイラスト(美容系 生活感のあるもの)
  • 実用イラスト(SNSアイコン 各種素材イラスト 説明図)

ほかにこんなお仕事もしています

  • DTP(チラシ・カード・パンフレットなど。版下製作から、入稿代行まで)
  • 名刺作成(テンプレートでは不可能だった、細部にわたるまで、ご希望通りのオリジナル名刺)
  • ロゴ作成(店名、社名、チーム名、商品名など)

資格

資格があるから仕事になるというような立派な資格はありませんが、資格をとるために勉強した内容や時間には価値がありますよね。

今も取得したい資格があって地味に勉強中です。

色彩能力検定2級・DTPエキスパート

興味のあること・趣味

趣味や興味を活かしてイラストルポライターの仕事をしています。

日本橋のフリーペーパー「はしのまち」をきっかけに、イラストルポライターとして活動をはじめました。

現在「はしのまち」は残念ながら休刊中ですが、ここで知り合ったメンバーとは、違う形でお仕事を続けています。

 

  • 落語鑑賞(春風亭一之輔、柳家花緑、柳家喬太郎のファン 最近古典落語もいいなと思いはじめました)
  • 美術館、博物館巡り
  • 長年の茶道楽(コーヒー、紅茶、緑茶、中国茶、カフェ文化)
  • 建築物やショールーム、家具屋巡り DIY
  • 手芸(ミシン、布が好き。浅草橋などのパーツショップも好き。)
  • 文化的な散歩(スタンプラリー 御朱印集め テーマを決めての街歩き)
  • 街の看板、標識や気になるマークの写真を収集すること
  • 旅行(とくに東南アジアが好き)
  • ペットは9匹のメダカ(その名もメダカーズ)

わたしはこうして生きてきた~漂流の歴史

ざっくり版

美大進学➡設計事務所➡広告代理店➡デザイン事務➡WEB制作会社➡漫画家アシスタント➡フリーランス(ライターしながら絵を描くブロガーだったり、イラストルポライターだったり。その他の仕事も色々)

ひとことで言うと、超回り道している一本気な専門バカだと思っていたけど、案外色々できるんじゃないかと思いはじめた今日この頃。

詳しく版

子ども時代は絵ばっかり描いていて、親にも呆れられました。小学校の卒業文集に『将来の夢はイラストレーター』と書きました。

小学生の頃は、放課後に図工の先生が絵を教えてくれました。部活ではなくて、コンクールに出したい人向けに任意で参加できるような機会があったので、下校する前に絵を描いていました。

中・高の部活は美術部でした。しかも放課後は、近所の画家さんのアトリエに押しかけてデッサンや油絵を勉強させてもらっていました。

将来絵の道に進むことを親からは大反対されていたので、勝手に画家さんのアトリエを見つけて自分で訪問して、今の夢と状況を相談したら、その場で親に電話して下さって説得してくださった恩師です。

お礼にアトリエの掃除や、先生の軽食やお茶を用意する雑用をしながらデッサンや油絵を勉強しました。

いわゆる美大受験専門のアトリエではなかったので、受験は苦戦しましたが、なんとか進学することが出来ました。受験当日に人のデッサンや、画材を見て「こんなのもあるんだ!」って思ったぐらい何も知らない私の受験は、かなりの無謀な挑戦でした。

 

学生時代は、今風に言うと「隠キャ」ってやつだと思いますが、自分では美術室やアトリエが最高に居心地がよかったです。

一方で田舎で美術館もない環境だったので、文化的なものにはとても飢えていました。

 

通っている画家さんのアトリエは、子供から社会人まで幅広い人がいたので、学校では学べないことを多く学べたと思います。正直学校がつまらないと当時は感じていました。普通なら10代で出会わないような人間関係の中にいました。

今なら、学校に馴染めない子どもが通うフリースクールというものもありますが、今思えばそのようなポジションにあったとも言えるアトリエでの時間。自分が安心できる居場所があるってとっても大事なことです。

 

私は服装は普通の生徒なのに中身は不良だったかも知れません。実際、学校でもなんとなく心が通いあうなあと思う友達は、ちょっと(かなり?)不良だったり、不登校気味だったり、いじめられてる子だったり、個性的で浮いちゃうような子ばかり。

 

高校生活は7割、朝は刻して学校に行きましたので、そう言う意味でクラスでは有名でした。

授業中は、ほとんど寝ているか図書室にいました。学校だけで見ると相当なろくでなしなんですが、私はかなり真面目に自分の将来について考えて行動していました。夜中までアトリエで絵の勉強をしていましたし、夜明けとともに朝もアトリエによってから学校に行っていたので、学校では伸びきっていました。

まあ、進路指導のたびにため息つかれていたのは事実です。進学クラスに一応いた私は、学校ではかなりのはみ出しものでした。

 

どうしても諦められない夢がある人に向けて魂で書いた記事です。よかったら読んでください。

 

1992年 学生時代は生活デザイン科で暮らしにまつわるデザインを学ぶ。

浪人は許さないという条件の元の受験だったので、とりあえず受かった学校の受かった学部で学ぶという形になりました。

イラストレーターになるならグラフィックデザイン科や今なら専門に学べる学部もあるかも知れませんし、専門学校もありますから、進学先のチョイスってどうなの?というツッコミは我ながらありますが、ともかく受験はここしか受からなかったもののともかく進学して東京に出たかったので、勢いだけで上京しました。

 

私は、木工 金工 陶芸 店舗デザイン 住宅設計など生活にまつわるデザインを広く学びました。

色彩学と建築の授業がいちばんおもしろかったです。

学生時代のアルバイトは、設計事務のアシスタントや、模型の制作会社で博物館用の展示物を作っていました。

映画を見たり美術館に行きまくったり、上京した喜び爆発の学生時代でした。

 

学校の友人は、隠れ浪人している子も多く、途中で受験のために退学したり、卒業後進学して勉強を続ける方も多かったです。そもそも、就職活動をする人の方が少なかったという、普通の大学生からしたらあまり考えられないような環境でした。

いきなり作家生活に入る方もいれば、研究の道や職人の道に入る人もいて、型にはまらない進路の選び方をする人が多く面白かったです。

私自身、リクルートスーツを着て就職活動をしたことが実はありません。なんとか今日まで生きているのが不思議なくらいです。


1994年 卒業後、設計事務所に勤務

卒業後、絵だけで食べていく決意ができなかったので、ともかく就職をしました。

当時、就職活動は全くしないまま卒業制作も終わり、進学先を決めていたわけでもない宙ぶらりんな状態でした。

卒業制作の設計案が次席だったことで、学生時代の講師の方にお声がけいただいて、卒業旅行も行かないまま、設計事務所に就職しました。学校主催の卒業旅行は美術に関連するヨーロッパ1ヶ月の周遊旅行で、多分行ったら人生変わるような素敵な旅行でしたが、私は3食きちんと食べられないような貧乏学生でしたから、旅行に行くという選択肢は残念ながらありませんでした。

ちなみに先に声がけがあった首席の方は卒業後に進学するということで断られたということの経緯があるので、私は完全バーターですが、採用理由はなんでもいいって思いました。

当時は、建築も面白かったので、なんとなくイラストレーターになるという夢は、一回棚上げになりました。

東京の一人暮らしは、エキサイティングでした。何もしないまま田舎に帰るのはいやだなあと思っていました。

木造注文住宅の図面を手書きで作成(CADは使えません)
建築確認申請/住宅模型製作(顧客説明用)/一般事務(電話対応、経費の記帳など)/住民合意による街づくり活動にかかわる(公共施設、公園など)/行政の街歩きイラストマップやチラシのイラストを担当/建築系の雑誌やムック本に載せる図版を制作

1995年 阪神淡路大震災の調査で神戸へ。倒壊した木造住宅を目の当たりに。

実務のかたわら、二級建築士の勉強をしていました。イラストのことはこの時期あまり考えていなかったと思います。

事務所の机の下で寝るような生活をしていたので、毎日精一杯でした。

そんな中、阪神淡路大震災が起こります。

構造力学が苦手でした。数学が苦手過ぎて、いつも赤点だった学生時代への後悔。基礎学力も大事ですね。大人になってから勉強の大事さはジワジワとわかってくるのですが、後の祭りです。

ある意味で設計の仕事は命に関わる仕事です。設計ミスで人命が失われた事故もありますよね。

このまま建築をやっていいのか完全自信喪失しましたし、人としても自分に自信が全く無くなった時期です。

思い起こせば、自信を持って作業していたのは図版作成くらいだと気が付きました。

 

1996年 方向転換 広告代理店の社内イラストレーターとして勤務

広告用のカットイラストを担当(手描き)/雑誌出向用の広告デザイン(版下制作)/校正作業/営業マンに同行して顧客にデザイン面でのサポート/一般事務(電話対応、伝票整理)

グラフィックデザインを独学しながら仕事をする。本当に何も知らないところからのスタートをしました。

無知すぎて毎日の仕事は、辛かったけれど、グラフィックに転向する決意は固かったです。

イラストレーターとして入社しましたが、実際はなんでもやる環境でした。

女性誌の広告と聞いて入社しましたが、それはごく一部で。色々と世間の様々な需要を満たす広告に関わりました。

 

版下からDTP化の流れが止まらない中、DTPも学びはじめました。ボーナスは、ほとんど学ぶために使っていたと思います。

これは、高校の頃に絵を教えてくれた画家さんからの受け売りですが、若い頃はお金は溜めないで自己投資しなさいということを守っていました。物事の価値決定をする基準として、若くない今でも大切にしている言葉です。

1998年 デザイン事務所に転職 DTPを始める

アナログではなくDTPで仕事をするため、転職しました。
デジタルと版下の半々で仕事するという、ちょうどDTPの移行期だったので、何事も新鮮でおもしろかったです。

今はもう開かない箱って感じのMacですが、この頃は自分でMacを改造したり出来る時代だったので、結構オタク的にいじっていました。事務所のMacも改造していました。今思うと懐かしい時代です。今から考えたら、のんびりしたもんでした。

 

スライドショーには JavaScript が必要です。

新聞折込用チラシ/イベント用販促物/社員用手帳/フリーペーパー/DM

数年後、社長がご病気になり会社が閉鎖になりました。またもや身の振り方を考え直す時期が来ました。
この頃、PR活動の予算をチラシからWEBに移行したいと言われることが増えていたので、次はWEBを目指すべきだろうなと思いました。

2004年 WEB制作会社のデザイナーチームで働く

人生の転機とともにWEBの知識ゼロで入社しました。運がよかったとしかいえませんが、インターン的な感じの募集で拾ってもらえました。

この頃は紙媒体から流れてきたデザイナーさんがたくさん同僚にいました。エンジニアとデザイナーの完全分業の制作会社だったので、知識ゼロでもなんとかやっていけました。時期としては、わたしのような人間でもWEB業界に入りやすかったギリギリの時期だと思います。

定時の勤務時間後、会社が経営しているWEBデザインのスクールに通い、HTMLやDreamweaverなどを一から学びながらの勤務。
お給料をいただきながら勉強できて大変ありがたかったし、しっかり生活を立て直せたので感謝しかありません。

時代的にFlashが流行りで、こってりと作りこんだサイトを作ったりしていました。

まだ、スマホ出現前だったので、当時はレスポンシブデザインという概念はなかったように思います。

WEBサイトのデザイン/キャンペーンサイト/サイト内で使用するイラスト作成/バナー広告作成/Flashコンテンツの開発

また、副業でイラストレーターをはじめたのも この頃です。取り憑かれたように仕事をしていました。

パンフレット用イラスト/パズル誌イラスト/子ども向け雑誌の付録イラスト

などのお仕事を担当。独立する勇気がないまま、二足の草鞋にしがみついていました。

2007年 漫画家でイラストレーターの某先生のアシスタントとして勤務

副業の方のつながりで、アシスタントの声がかかり、第一線の仕事場で勉強したくて転職しました。お給料は下がりさらに労働時間は増えましたが、経験を積みたかったのでがんばれました。

WEBの方は、デザイナーもCSS勉強しないとね という時代だったと思います。

今後のWEBの展開を考えると、このままWEB業界にいたら、今もう少しWEBの世界でも活躍できていたように思います。と同時にこの先イラストに絞っていなかったら、多分イラストレーターとしては現在、仕事をしていなかったとも思います。

今思うと転職の時期的にも、現在のWEBの知識がまるで、からっぽ状態なのもうなずけるのですが、わたしのターニングポイントだったんだと思います。

どちらがよかったのかは、今後の自分の頑張り次第で変わってくると思います。

漫画家アシスタントの仕事内容

原稿の仕上げ作業のアシスタント(週刊漫画の原稿、カレンダー、書籍、広告に使用するイラスト)

キャラクターの洋服のカラーデザイン/手描き原稿をデジタル化して、デジタル着彩(Photosop)/先生の個展用の展示物制作のお手伝い/一般事務(電話対応、経費の管理、お茶出し)

絵の仕事で、常時7名ほどのアシスタントが養えるような、仕事の何たるかを知りました。トッププレーヤーの世界には完全に目がくらみました。

驚異的なこだわりと、物事に対する深掘り、一切妥協しないことを学びました。

絵にはストーリーが必要だということや、自分自身の生活や内面が絵の中には全部出るんだというという覚悟と姿勢で日々生きることの重要性を学びました。

2009年 出産を機に、完全在宅ワーカーとなりました。

出産の前夜まで、普通に自宅で仕事をしていた仕事中毒のわたし。

産後2週間で、絶対に断りたくないようなイラストの仕事が入り、すぐに仕事復帰しました。とはいえ、保育園には入れられなかったので、常に抱っこして育児をしながらの仕事復帰は今思うとかなりハードでした。

子育てしながら少しペースを落とした仕事は、段々と受け身の姿勢になりました。

在宅ワーカーと発注者を結ぶサイトからお仕事をもらっていたのは、この時期です。それなりに仕事は続けられましたが、なんとなく魂が死んでいったような感じがします。機械のパーツになったような感覚の仕事のしかたでした。

収入を得るためだけに仕事をするのは、辛いなと思いました。甘い考えかもしれませんが、心が伴わない「作業」のような仕事に価値を見いだすのが難しいと思いました。

 

熱い気持ちで仕事をしなくなると、成長は止まりました。ダメな時期だったとしかいいようがありません。

自分では、こんなに停滞時期が長くなるとは、思ってもみませんでした。スランプとも無縁だと思っていました。

一時期は、こんなにも夢中になって追いかけている夢を諦めることも考えてしまった時期です。とはいえ、他にやりたいことがあった訳でもありません。

 

一方で、子どもを持ったことでわたしは大人になったと思います。子どもと大人は対義語です。

子どもがいると耐えることを学びます。なんでも思うとおりに自由に生きてきたことに対して、自分に足りなかったものを補足するような時間だったんだと思います。

 

2018年 わたしは心機一転、再起動をしました

気がついたらひきこもり主婦になっていた私もなんとか現状打破しようと思いはじめた年でした。

これは、何度かあった人生の転機の節目だと思います。

 

仕事のモチベーションをどう上げていこうかともがく中で、新しい価値観や様々な仕事の仕方に出会いました。

新しい挑戦する中での学びもありました。

外に出かけて積極的にたくさんの人と会ったり、新しい体験をする中で、気づきや学びが多くありました。

 

また、命に関わるような困難に対峙しても静かに立ち向かう人にもお会いしました。

たゆまない努力を地道に継続できる人にも出会いました。

諦めない強さを身につけた人にも出会えました。

人の優しさに甘えてはいけませんが、どうしても自分で立ち上がれなかった時に、そっと手を貸してくださった方がいました。

挑戦しようという私に、チャンスを与えてくれた方々には感謝しています。わたしもいつか誰かにお返ししたいです。

損得勘定抜きで人に貢献できる尊い価値観にも出会えました。見習いたいと思います。

人生を変えたすごい本のワンフレーズや記事にも出会いました。私もいつかそういう文章を書いてみたいです。

 

出会った多くの方々との対話の中での気づきによって、わたしは完全に覚醒したと思います。そして動きはじめました。

わたしの人生は、失敗の方が多いんです。とはいえ、まだ成功もしていません。

でも、だから何って思います。一番ダメなのは、歩くのをやめることです。

とにかく歩いてみる。これからもバカなまま、子供のように仕事に夢中になって、ゴールは考えないで歩きます。

大人になっても、生涯学び続け、夢を持って生きる、自分に正直に生きるそんな自分でいたいと思います。

フリーになってからのお仕事一例です。

児童書やムック本の挿絵制作/WEBサイト用イラスト/スマホゲーム用イラスト/キャラクターデザイン/名刺/ロゴ/パンフレット制作/イラストルポ/ WEBライティング

【おまけ】どうしてこの屋号やペンネームになったのか

アトリエIMAという屋号やペンネームにこめられた思いについて書いていきます(雑談です。暇な方向け)

ペンネーム問題

そもそも、なぜペンネームが必要かという話です。売れっ子でもないのにカッコだけじゃんと思われても仕方ないですから少し説明したいと思います。

本名のままだと、イラストレーターとしてもライターとしても、すでにご活躍されているクリエーターの方がいらっしゃったので、恩師に相談したところ、ペンネームを使うことを勧められたという経緯があります。

私の苗字は、ハンコの見本のような苗字です。よくある名前。特徴なし。

私は芸能人の方のように顔出しする機会はありませんから、名前で判別するしかないわけですが、お仕事上、名前で混同されるようなことがあると先に活躍されている方への失礼にあたるので同じ名前は避ける必要がありました。

ペンネームは売れっ子の方のためだったり、職場への身バレ防止のためにあるという認識だったペンネーム。私には無縁だわと思っていました。

そんな訳で、もともと「本名」で活動をしていて、後々ペンネームを使うようになった訳ですが、恩師に名付けていただいた経緯が本当はもう1つあります。

 

ここでひっそりとカムアウトですが、私は実は離婚経験があります。積極的に語ったり、自分のブランディングやキャラ付けに使うつもりはありませんし、知っている人は知っている事実なので別に秘密ではありません。

なんとなくあえて言わないって感じの話です。全然楽しい話ではないですしね。

 

色々ありました。経緯はどうあれ、事実として離婚経験があるとなんとなく社会的信用は落ちたりします。この人何か問題あるんじゃないのという先入観も世間ではあったりします。プラスとして捉える人は、ほとんどいないのが事実じゃないかな。

理不尽な理由でたくさんの人が離れていきました。

 

ちゃんと資金があっても不動産屋さんには、階段が落っこちそうな物件しか紹介してもらえないということもありました。ストレスで胃潰瘍にもなりました。

 

自己弁護するつもりも相手を非難することもしたくないので、ひたすら無言を貫いています。親にさえ相談しなかったレベルなので、おそらく一生誰にも詳細は語らないと思います。

 

過ぎたことはもういいかな。ってそう思えるくらいに時間が経ちました。私は、いまだに図太く生きていて、いまだに同じようなことをして、無駄に動き回り頑張っていて、成果が出ているようないないようなままですが、それでも歩みを止めないという状態です。

 

3人にひとりは離婚するとも言われている現代では、離婚なんて別に珍しくはないかもしれません。

ただ、仕事上「本名」で活動をしているとややこしいことがあったりはします。旧姓でずっと活動していれば特に問題ないのかもしれませんが、コロコロ苗字が変わると不都合が多いです。

変わらない名前があるということは、お仕事上大事だったりします。セルフブランディングの一部ですから。

その点私は、いろんな意味で大失敗でした。「本名」で小さいながらも雑誌に毎月カットのお仕事させていただけていたりしましたので、名前をどうしたらいいのか大問題でした。

ただでも激変の生活。明日どうしたらいいのかさえ考えつかない状態なのに、ずっとやろうとしていた仕事も途絶えたりしたら、お先真っ暗ですから当時はかなり困り果てていました。

そんな時にいただいたのがペンネームです。応援の意味と、図録や名簿に乗るときはアイウエオ順が多いので上の方に乗るように目立つように考えて下さった戦略的なペンネームです。

ペンネームが必要なほどの仕事の仕方ではなかったので、私にはもったいない話でした。客観的に見たら私のペンネームなんて、どうでもいい話だったはずです。

でも、私のペンネームはいまだに夢を諦めないためのくさびのようで、夢を諦めそうになるとお叱りを受けるような大事な名前です。

夢がある人は、夢から逃げたらダメだと思います。

側からみたらアホな人でもいいと思います。

成功するまでは、大体周りからはアホ扱い。私のような年齢だとイタイ人扱いが普通かもしれません。

でも、私が全く意に介さないのは、死にそうなくらいしんどい思いをしても、私の夢はやっぱり自分を支えてくれる核なる部分だからです。

開業届を出すにあたり…

開業届を出す際、屋号を決めなければなりません。みなさん、どのように決めていらっしゃるのでしょうか。

○○商店みたいな感じだったら、簡単ですが。

考え抜いた末に「アトリエIMA」という屋号に決めました。
個人なので○○デザイン事務所とつけるような規模ではないし、色々と取り組みたいことがあるので、解釈に幅があるアトリエを採用。

IMAの部分には、今現在の今とリビング(居間)で仕事をしていることそして、ペンネームのicemammyからエッセンスを取りました。
小さい商いですが、何かを生み出す仕事を心を込めてして行こうという想いを詰め込んでいます。

ペンネームは恩師からいただいた大切な第二の名前です。名付けてくださった恩師は今は天国にいらっしゃいますが、どこかに記憶を刻みたかったということもあります。

私は今この瞬間を生きていることに感謝を忘れないようにしたいと思います。

イラストのお仕事も前向きにがんばろうと決めました。ペンネームのあいす まみ(icemammy)は絵描きとしてちゃんと名乗ろう。名乗っても恥ずかしくない活動をしよう。そう決心しました。

お礼に変えて

長い長い自己紹介。ここまで読んでくださった方ありがとうございます。

色々あって、かじりついて仕事を続けています。

根性だけはお墨付きです。出来ないことは学びます。バカがつくくらい正直です。

たまに融通は聞きませんが、結構素直なので、悪いところがあったら直球投げてください。

性格はイジイジしていないので、素直に悪いところは改善しようと努力出来るタイプです。

細く長くお付き合いください。一度恩義を感じた方にはじっくりご恩を返していく忠犬タイプです。

一緒にお仕事しませんか?型にはまらない面白い仕事を探しています。

未来を変えたい。現状に満足しない。そんな方とお仕事してみたいです。

 

お問い合わせ、ご相談はお問い合わせフォームよりお気軽にご連絡ください。

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